小学生の頃、釣具店に並ぶピカピカのルアーに惹かれて父に買ってもらったものの、使いこなせず。その20年後に旅行で訪れた石垣島で、教えてもらいながら借り物のミノーを泳がせたのが、僕にとっての事実上のルアー初体験でした。
その時に感じたのは、「ルアーって泳がせてるだけで楽しい!」。
その後、石垣島へ移り住むことになり、今ではすっかりルアー釣りに夢中ですが、初めての時に感じたその楽しさは今でも薄れることがありません。
先日、1週間ほどかけて四国のあちこちを巡る旅をしました。驚いたのは根魚たちの魚影の濃さ。
海底まで明々と見通せる日中でも、物陰にワームを落とすとメバルの類が飛びついてきます。
特に楽しかったのが、港の中の階段状になっている部分。
こういうところって、下から襲われる心配がないからボラの子なんかがよく藻類をついばんでるよな、と思いながらシャッドテールのワームを泳がせます。それが波に揺られてつい段差の向こう、深さのある方へ運ばれたりして……と動きをイメージしてアクションした瞬間、
段差の陰から飛び出したタケノコメバルがワームを引ったくりました。
その後も、同じ釣り方で次々と。楽しい!
この釣りをしていて、なぜ「ルアーを泳がせてるだけで楽しい」のかが分かってきました。
僕にとって、ルアー釣りとは「魚を騙すこと」ではなく、「自然の一部を演じること」だと気がついたのです。
「演じる」というと「演技」の意味合いが濃くなるので、「役割を担う」と言った方が近いかもしれません。
あるいは”play a role”という表現がしっくりくるのかも。
自然界は、「食う・食われる」という最も重要な関係性を軸に、数えきれない生き物たちがそれぞれの役割を担う(もちろん、当の本人には「役割」の意識はないはずですが、自然界という全体を見たとき結果的に)ことで成り立っています。
人間はその複雑な関係性からいったん抜け出し、自分たちで最大限コントロールできる領域を作ってその中で暮らしています。
しかしルアー釣りをして、つまり自ら小魚やプランクトンになって水の中を泳いでみることで、その自然界の「系」の中の役割を擬似的に担うことができる。しかもその出来の良し悪しは、「食いついてくれるかどうか」という目に見える結果で魚たちが教えてくれる。それこそが、僕が「ルアーを泳がせてるだけで楽しい」理由なのでした。
夜の港で水面を滑らかに這うプランクトンの動き。シュノーケリングをしていると目の前を逃げ惑う小魚のきらめき。
そういうすべてが、人間がそこから去った「自然の系」のありのままの姿を教えてくれます。
そこからの学びを実践するために、そして魚たちにチェックしてもらうために、僕はまたワクワクしながらルアーを投げるのです。